東洋経済新報社は 2019 年 9 月 5 日、都内で PLM 活用のベストプラクティスを紹介するフォーラム「設計・開発データを中心とした製造業のデジタルトランスフォーメーション」を開催した。同フォーラムでは PTC ユーザーたちが登壇し、PLM の最新活用事例を発表した。
本稿では、PTC ユーザーである IHI アグリテックの講演「農業機械ビジネスにおけるデジタルトランスフォーメーション~IoT/AR を活用した販売およびアフターサービスの新価値づくり~」の内容を紹介する。
IHI アグリテック (IAT) は産業用エンジンや農業用機械などを開発する、IHI グループ企業である。IHI グループにおいては、「産業システム・汎用機械事業領域」に属する。IAT は、2017 年に農機メーカーの IHI スターと IHI シバウラが経営統合して誕生した企業だ。その生い立ち故に、本社が北海道千歳市(元I HI スター本社)と長野県松本市(元 IHI シバウラ本社)の 2 カ所に存在する。
IAT の主力事業は、産業用インプルメント(産業用作業機械)、芝草・芝生管理機械、環境機器(殺菌・脱臭機器)の 3 つである。今回は同社より、開発部 開発管理グループ 担当課長 櫛谷 陽一 氏が登壇した。
IAT の開発する農業インプルメントとは
農業用インプルメントとは、多岐にわたる作物や作業に合わせた機能をトラクターに実装して使う作業機械のことである。IAT では酪農用作業機械を中心としたインプルメントを開発・販売している 。
下記の写真は、「ロールベール(ベール)」と呼ばれる家畜用の飼料である。牧草などを乾燥させて円筒状に梱包している。IAT では、このベールを作る機械を製作している。
ベールを作り上げるには多くの作業ステップを踏むことになる。まずは土を耕して種をまき、牧草を育てるところから始まる。牧草が育ったら、「ディスクモア」で刈り取りし、さらに「ジャイロテッダ」でかき混ぜて(反転)から、「ジャイロレーキ」で集草する。刈り取った牧草を水分で腐らせないためのプロセスだ。集草したら「ロールベーラー」で牧草を円筒の形に梱包し、さらに「ラッピングマシン」でフィルムにくるむ。IAT は刈り取りからの工程に使う機械を一通りと、糞尿散布用のバキュームカーを開発している。
農業インプルメント、販売促進の悩ましい事情
IAT の扱う農業インプルメントはトラクターに 3 点直装またはけん引させて使う、つまり常にトラクターとセットで使う機械である。故に、トラクターと併せて販売していく。顧客は一般農家である。農業用インプルメントは、主に、トラクターメーカーや農業協同組合 (JA) の販売店で販売する。販売規模はトラクターメーカーの販売店が最も大きいという。
トラクターの販売店は乗用車と同様に、国内の地方ごとに組織されている。接客のフロントに立つのは販売店で、販売や修理に対応する。IAT のようなメーカーは、販売店からの注文を受けると商品や部品を出荷する。販売店では対応が難しい深刻な故障、製品の不具合によるクレームにも対応する。
トラクター販売店は親会社のトラクターを取り扱う。農業インプルメントはトラクター販売店にとっては「取扱商品」と同等の位置付けとなり、トラクターより販売の優先順位が落ちてしまうこともある。そのため IAT の営業所では、販売店の対応の他、直接顧客に営業をかけることもある。
農業機械の顧客は、年内の限られた時期に作業をするため、「使いたいときに確実に動く」ことを望む。「農業機械は生産機械です。お客さまは、価格だけではなく、『仕事ができるか』ということを重視します。価格だけで購入するお客さまはあまりいません。なので『実演販売』が大きな販促の場になります」(櫛谷氏)。
さらに「壊れてもすぐに修理に対応できること」も顧客は重視する。機械を修理に出し、戻ってくるのを待っている間で作業がストップしてしまい、農作物がダメージを受けることもあり得るからだ。
実演販売は、例えば農地を農業機械メーカーが一時的に借りて行う。顧客の前で実際の作業をしながら、機械の作業能力を顧客に訴求してきたという。IAT はトラクターメーカーではないため、実演販売をしようとすると農地だけではなくトラクターも手配しなければならない。準備にとにかく手間が掛かるため、頻度を増やすことはできなくなり、営業機会も減ってしまう。
IAT の扱う農業インプルメントは製品の種類が多く、かつ機械が対象としている作業も多い。それを営業担当や販売担当、修理担当が全て覚えるのは非常に困難である。「『それなら、修理マニュアルの整備を進めたらいいのでは』という話になるのですが、農業インプルメントの種類は数百から千近くあり、われわれのような小規模な開発部門では、『正直、ドキュメントの整備が追い付きません』という話になってしまいます」(櫛谷氏)。
さらに農機業界は今、農業機械のメンテナンスができる熟練人材も減少してきている。そのような状況から、「すぐに修理対応する」ということもだんだん厳しくなってきている。修理に時間がかかるため、実演販売のような手間のかかる販売促進活動にますます時間が割けなくなる。また販売店側も「こんなに手間のかかる機械は売りたくない」という話になってしまう。
「『売り上げを伸ばしたい』という思いを抱きながら、『修理に時間が割かれてしまい何もできません!』という悲鳴をあげているような現状です」(櫛谷氏)。
ジレンマを乗り越える、デジタルの力
売り上げを伸ばしたいものの、現状の修理や保守に手間が掛かりすぎて販売促進活動に時間を割くことができないというジレンマを抱えていた IAT だったが、そこを乗り越えるため、デジタルトランスフォーメーションによる新たな取り組みを開始。
IAT は 2018 年 7 月 12 ~ 16 日に開催した「第 34 回 国際農業機械展 in 帯広」に出展。この展示会は、国内外から、農業機械、農業施設、畜産物加工機などにかわるメーカーや販売店などが集結する、4 年に 1 度の大規模イベントである。約 130 社が出展し、会場来場者数は 5 日間で約 20 万人、IAT のブースには約 5,000 人の来場があったという。
IAT は、まず GPS の地図データを活用し、農作物の生育に合わせて、肥料の量を自動的に調整し散布するシステムを展示。さらに PTC の AR(拡張現実)プラットフォーム「Vuforia」を使って、タブレット端末で農業インプルメントの細部の動きを 3D データのアニメーションで確認するデモを実施。農業機械のメンテナンスや修理の課題を AR と IoT での解決するコンセプトを示した。
同社は、この展示に先立って、2010 年から AR システムの評価や検討を既に実施していた。当初は DR(デザインレビュー)での活用を考えていたが、社内で評価する過程で、設計以外にも営業の販促でいろいろな場で使えるのではないかという話になったという。そこで、同社の芝草管理機の販売促進の現場で AR を使用したデモを実施した。しかし、それは櫛谷氏にとって苦い経験となった。「エンドユーザーからは『面白いね』『分かりやすい』と好評だったのですが、整備士ユーザーからは『一体、何に役に立つんですか』と一刀両断されてしまいました」(櫛谷氏)。
その時の経験を踏まえ、「何に役に立つのか」ということを訴求できるデモの内容とした。「AR で実機レスの実演販売が可能」「AR で製品の分解図を見せられるので、機種が多岐にわたっていても修理に対応できる」「IoT と AR コンテンツの組み合わせによる稼働状況の見える化が可能」、それが「売り上げを伸ばす」ことにつながることをアピールした。
「展示会を、『これなら手間が減りますから、営業活動に時間が取れますよ』『これなら、売りたくなりませんか』と問いかける場にしたのです」(櫛谷氏)。
その結果として、IAT ブース来場者 5,000 人のうちの 500 人が AR/IoT 関連のデモを視聴。当時メインターゲットとした一般農家や整備士から、「どんな機械なのかよく分かる」「これなら楽になりそう」「こういうものが欲しかった」という好意的なフィードバックが得られたという。これを受け、IAT は次期設計システムに AR/IoT を組み込む構想を鋭意検討中ということだ。
農業機械とデジタルツイン
IAT の考えるデジタルツインとは「客先の現場で動いている実機の状況が、自分たちの手元で掌握できること」である。それにより、顧客によりよいアフターサービスを提供していく。
「今はセンサーが安価になり手に入りやすくなりました。農業機械に取り付けたセンサーからどんどんデータを集めていけます。その情報をどのように管理すべきか。製造業のデータは BOM を背骨としています。センサーから取得したデータが BOM と連携していなければ意味がありません」(櫛谷氏)。
客先にある機械の稼動状況は BOM レベルで把握する。CAD の設計情報は BOM に紐づき、さらに CRM から取得する顧客情報と BOM を結び付ける。そういったことをサイバー(デジタル)空間でもって行う。そのためには「データを入れる器」としての PLM は重要な役割を果たすと櫛谷氏は述べた。